盛岡にある三ツ石神社から臼沢塞と薄墨初美について読み解いてみる

第119局のカラー水着回は凄かったですね。はっちゃん達が泳いでいた霧島神境の海がどこにあるのか私、気になります!

ところで、先日東北地方の咲-Saki-舞台探訪をしてきました。東北といえばもちろんメインは宮守(と遠野)がメインだったんですが、そちらに関してはまた後日語るとして今回は同じ岩手県でも盛岡の舞台探訪とそれにまつわる考察を紹介しようと思います。

…とは言っても「盛岡に咲-Saki-の舞台なんてあったっけ?」と言う方が大半だと思うので、まずはそこの紹介を。これはかんむりとかげのつんさんの日記の以下の指摘がきっかけでした。*1

三ツ石神社があるので塞さんを盛岡の上に立たせてみました
最近気付いたんですが、10巻44Pの塞がれたハッちゃんが巨岩に繋がれてるコマ、向かって右側の岩の後ろに秘かにもうひとつ岩が重なってる(=岩が全部で3つある)んですよね
なので鬼がうんちゃらっていう由来も含めて三ツ石様も塞さんの元ネタの一つなのは確定かなぁと思ってます(…と書いたところで「そういえば実際の三ツ石神社の岩も大きいの二つの後ろに小さめのが隠れてたような」と思って今簡単に画像検索したら岩の配置どころか形や亀裂・ヒビまですっっっかり同じに描かれてました…びっくり…おそるべし立先生…)
かんむりとかげ : 名古屋の


このコマの事ですね。確かによーく見ると右側の岩の奥にもう一つ岩がある事がわかります。そして、この三ツ石神社が今回紹介する舞台となります。

という事で、舞台探訪記スタートです。

三ツ石神社は盛岡でも寺社が多数集まっている北山地区にあります。他の寺社も色々見て回りたかったんですがあまり時間がなくて他には報恩寺という所しか行けませんでした。今回の話とは全く関係ありませんが、ここの五百羅漢は素晴らしかったので盛岡を訪れた際には立ち寄ってみる事をお勧めします。

三ツ石神社は大通りから細い道を入って数分歩いた所にあります。ぱっと見た感じは何の変哲もない神社ですが…

近付いてみるとこんなに大きな岩が。大きさは大体4〜5mぐらいあると思います。これが神社の名前の由来にもなってる三ツ石です。

逆から見るとこんな感じで、確かに奥にもう1つ岩がありますね。

先程のコマと実際の写真を並べてみると確かに岩のキズも含めてほとんど同じように描かれている事がわかります。*2確かにこの三ツ石神社が咲-Saki-の舞台なのは間違いないようです。すげー!こういう所にネタを仕込む立先生も、気付いたつんさんやradさんもどっちもすげー!


さて、ここからはつんさんが書いている「鬼がうんちゃらっていう由来」とは何のことなのか詳しく見ていきます。

ちょっと読みづらいかな…。三ツ石神社のこの石にまつわる昔話について書かれています。要約すると、

  1. 昔この場所で羅刹という鬼が悪さをしていた。
  2. 怒った神様が羅刹を三ツ石に縛り付けた。
  3. 反省した鬼はその誓いのしるしとして岩に手形を残した。
  4. これが今の岩手県の名前の由来である。

となります。このお話と咲-Saki-がどういう繋がりがあるかというと

  • はっちゃんは北家の時に鬼門に北と東の牌をさらす事で裏鬼門(南と西)の牌が集まる能力者である。
  • そして、永水は姫様やはるるなど他のキャラクターにも鬼にまつわるエピソードがある。*3
  • 塞さんの元ネタである塞の神は主に石の神様であり、昔話と同様に塞さん(=三ツ石様)がはっちゃん(=鬼である羅刹)を縛り付けている。

…と、このようにわずかな作中の描写から幾つもの共通点を見つける事が出来ます。よって、三ツ石神社とここにまつわる羅刹のお話が咲-Saki-で巧みに描写されているのは間違いないようです…が、実は三ツ石神社にはさらに隠された咲-Saki-にまつわるお話がもう一つあります。


それについては、三ツ石神社ではなくそのすぐ近くにあるこちらの

東顕寺について知る必要があります。

このお寺は建造当初は北山地区の現所在地にあった訳ではありませんでした。それが、どういった訳で現在の場所、三ツ石神社のすぐ隣に移転する事になったのか。東顕寺のパンフレットから引用してみます。*4

現在の東顕寺の本堂裏には三ツ石神社という三個の巨大な花崗岩の岩が立ち並んでいる神社がある。(中略)慶長四年(一五九九)十月二十四日、南部盛岡藩初代利直公が盛岡に城を移しつつあるとき、お城の鬼門(艮=北東方向)にあたるところから守護を願い奉り、この三ツ石神社に三戸南部初代光行公のみたまを迎え、東顕寺持ちとして掃除料を与えた。

また、東顕寺のHPにはより端的に

東顕寺は現在、盛岡市の北山地区を中心とする寺町に位置しますが、
この現所在地は、南部さんが盛岡城を築城した際、鬼門固めとして移転させられた場所であります。

と書かれています。このように、東顕寺が現在の場所にあるのは盛岡城の鬼門を守る為なんですね。三ツ石神社のすぐ側に移転させたのは先程の三ツ石様と羅刹の話にあやかっての事でしょう。

追記:コメント欄で指摘を頂きましたが、東顕寺じゃなく北山地区にある寺院の多くは同時期に鬼門固めとして現在の場所に移転させられたらしいです。だから、ここに固まって寺院が存在していたんですねー。

そして、塞さんの能力は必ずはっちゃんが北と東の牌をさらしてから…つまり、鬼門が開けてから発動しています。もし、塞さんが単に相手の能力を塞ぐ能力なのであれば何故はっちゃんが牌を鳴く前から塞ごうとしなかったのか。その理由がこのエピソードに隠されている訳ですね。
はっちゃんが北家の時に北と東の牌を鳴いて(=鬼門を開ける)そこから南と西の裏鬼門の牌を呼び寄せる…この後で塞さんは塞ぐ能力を発動させているという事はつまりは鬼門を塞いでいるという訳で、それはこのまま東顕寺が鬼門固めの為に現在の場所へ移転させられたというエピソードとそのまま重ね合わせる事が出来る事がお分かり頂けると思います。

更にいえば、実ははっちゃんの能力自体がこれらのお話から生まれたのではないかとも言えるのではないでしょうか。
はっちゃんは悪石島出身ですが、そこからも永水がある霧島神宮からもこの鬼門の能力を連想させるものはないからです。こう考えれば、一見宮守とは離れた無関係な場所にある盛岡の三ツ石神社が、咲-Saki-の中に登場する理由もより明快になりますよね。


ちなみに。

三ツ石神社のすぐ側には愛宕町という地名もあってこちらも中々に意味深ですね。まぁ、東北って本当にびっくりするぐらいあちらこちらに愛宕にまつわる地名やら神社やらがあるので偶々な可能性も十分にありえますが。

*1:また、ほぼ同時期に臼沢塞と塞の神、そして咲−Saki−の中に隠された柳田国男の初期の著作へのリスペクトについて - 私的素敵ジャンク内のコメント欄でradさんからも同様の指摘を頂きました。ありがとうございます。

*2:色々な角度から撮ってみたんですが、このコマと全く同じ角度で撮影する事は僕には出来なかったです…。どうしても奥の岩まで写す事が出来ないんですよね。

*3:詳しくは以前に永水女子の気になる謎まとめ - 私的素敵ジャンク石戸霞と鬼八伝説の繋がりに関して - 私的素敵ジャンクでまとめたのでそちらを参照してください。

*4:このパンフレット自体はお寺しおり案内【あ行〜か行】/寺院総合情報サイトいい寺.jpの東顕寺のリンクから誰でも読む事が出来ます。