東北舞台探訪記 その1 仙台〜小山田〜小瀬川&姉帯編

今日は京都で咲-Saki-オンリー、東京では「咲-Saki-」CUPがそれぞれ開催されていたみたいですね。参加された皆様方、お疲れ様でした。

前回もお話したように先日東北に舞台探訪をメインとした旅行に行ってきたので、そのレポートを。直接的に舞台として登場してない場所も紹介するので、全3回ほどの分量になる予定です。
また、今回の舞台探訪に当たっては咲-Saki-マップ - Google マイマップ大三元四暗刻さんの咲-Saki-の舞台が特定されたら、行くしかないでしょ、ふじおかさんの咲-Saki-とか麻雀とか - ブロマガなどを参考にさせていただき、同時にTwitter上でも複数の方からアドバイスを頂きました。この場を借りてお礼申し上げます。

東京から夜行バスに揺られて最初に訪れたのは杜の都仙台。あまり知られてませんが、ここにも1ヶ所咲-Saki-の舞台が存在します。


それがこちらの伊達政宗の霊廟がある瑞鳳殿です。


3巻の総扉絵に瑞鳳殿内の景色が使われています。咲と和はどういう理由でこの場所を訪れたんでしょうかね?以前、成香ちゃん伊達政宗リスペクト説でもこの背景を紹介した事がありますが、例えば有珠山と清澄が仲良くなってこの場所を訪れる事になった…というのはまぁ無いでしょうが、この次のページのイラストは何となく松島辺りのような気もしますし、大会が終わった後にでも旅行に訪れたのでしょうか?それとも制服だから大会とかがあったのかなぁ…。

仙台を離れた後は平泉などを訪れたんですが、その翌日、今回のメインとなる宮守、遠野を訪れました。ですが、宮守の途中の小山田駅周辺にも咲-Saki-の舞台は幾つか登場します。


それが第94局[仲間]の扉絵と…


第86局[新任]と第93局[歓迎]の扉絵なんですが、こちらの2つの写真データは後で確認してみたら何故か消えていまして…(泣)とりあえず、今回は舞台周辺がどのような場所なのかだけでも紹介しようと思います。



釜石線の駅の1つ、小山田駅無人駅です。駅周辺は宮守などと比べても何もない所ですね。
また、釜石線は「銀河ドリームライン釜石線」という愛称がつけられています。これは、かつての釜石線宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』のモデルとなった事からつけられたものだそうで、その為に釜石線の各駅にはエスペラント語による愛称がつけられています。そして、小山田駅の愛称は「ルーナ ノクト(月夜)」。

宮守で月夜といえば、連想するのはやはりエイスリンでしょうか。実際、先程の小山田駅周辺の舞台の扉絵には全てエイスリンが登場しています。彼女のホームステイ先が近くにあるのかもしれませんね。

山田駅のホームから見た景色。釜石線の電車は数時間に1本しか来ないので、ホームで過ごす時間も長い事でしょうね。いつもどんな事を考えてこのホームに立っているのか想像を掻き立てられます。

そして、咲-Saki-の舞台は駅から踏切を渡って少し歩いた場所にあります。

それがこの三郎堤という場所です。


こんな感じのため池が広がっています。桜並木が広がっているので花見の時期はいいかもしれませんが、女の子が歩いて楽しい場所かというと…。遊びで訪れるような場所ではないので、やはりエイスリンのホームステイ先かあるいは他の誰かの実家があると考えるのが妥当でしょうね。


山田駅周辺の写真を撮り終えた後は遂に宮守へ!…だったんですが、それについてはまた次回に持ち越すとして、今回はシロと姉帯さんの名字の由来となった場所も訪れたので、最後にそちらを紹介しようと思います。

シロの名字の小瀬川花巻市にある旧小瀬川村に由来します。当初の予定では特に訪れるつもりじゃなかったんですが、たまたま宿へ向かう途中の道沿いに小瀬川がある事を知り、急きょ寄ってみる事にしました。
しかし、カーナビを頼りに現地へたどり着いたはいいものの、住所を示す電柱やら看板やらないような場所だったので途方に暮れる事に。歩き回って何とか見つけたのが

電柱にあったこれ。何を示すものなのかよくわからないんですが。

周りはこんな感じの田畑ばかりで、お店すら存在しないような場所ですね。かつて、ここに同名の村があった事を窺わせるような何かがあればいいなと思ったんですが、期待は裏切られる事に。得られたのはかつてここにシロのご先祖様が住んでいたのかなーという自己満足ぐらいですね。


お次は姉帯。こちらは宮守より更に北の二戸郡に現存する地名です。姉帯の舞台探訪については、既につんさんがかんむりとかげ : 姉帯探訪でされていますね。僕も時間があれば色々回ってみたかったのですが、今回は姉帯城跡にだけ訪れる事に。

最寄駅はいわて銀河鉄道線小鳥谷駅。そういえば、こちらの路線も『銀河鉄道の夜』にまつわる名前ですね。

姉帯城跡と書かれた看板から山道を歩く事15分ほど。当然のごとく誰もいないですし、道もこんな感じなので本当にこっちで合ってるのか不安が募りましたが…

なんとか到着。兵どもが夢の跡…ではないですが、今はただの草木が生い茂ってるだけの場所ですね。


つんさんも書かれていましたが、戦国大名の九戸氏の庶家であった姉帯氏は九戸政実の乱で九戸側につき、その結果豊臣秀吉によって九戸氏と共に滅ぼされる事となりました。

そういえば、姉帯さんは村の外から出る事を許されなかったんじゃないかという雰囲気がありますが、ひょっとしたら姉帯さんは戦いに敗れ落ち延びた姉帯氏の実の子孫で、追手から身を隠す為にひっそりと生きてきたので、今も山奥から出る事を許されなかったんじゃないか…とも思ったり。彼女に関してはまだまだ謎が多いですね。

姉帯さんの謎といえば、六曜についても少し。以前に姉帯さんについてまとめた時はなぜ彼女の能力が六曜なのかはわからないまま、と書きました。ただ、姉帯という名字が姉帯氏に由来するものとなると、どことなく六曜を連想させるものがあります。

武家の家紋_南部氏

それが九戸氏の家紋の「九曜紋」。リンク先は南部氏になってますが、九戸氏は南部氏から分かれた一族でどちらも家紋は同じです。家紋に関する細かな事はリンク先を読んでいただくとして、「九曜」と「六曜」…数字の「9」と「6」が似てるというのもありますが、ひょっとしたらこの九曜紋から姉帯さんの能力の六曜を立先生が思いついた可能性もあるのかもしれませんね。もちろん、偶然の可能性の方が高いでしょうが。

宮守ファイル by つん on pixiv

その九戸氏の家紋と九曜紋ですが、つんさんの宮守クリアファイルの意匠としても使われています。このクリアファイル、とても素晴らしくて僕も買ったはいいものの使うのがもったいなく感じてしまい、大切にしまってあります。ところで、このクリアファイルのイラスト、姉帯さんと他のキャラの前掛けをよく見比べて下さい。

ちゃんと姉帯さんの前掛けだけ、九曜紋が六曜紋になってるんですよね。このような細やかさは流石の宮守愛ですね。このクリアファイルはそのモチーフのほとんどが遠野、あるいは岩手にまつわるものなので調べてみるととても楽しいですよ。