臼沢塞と塞の神、そして咲-Saki-の中に隠された柳田国男の初期の著作へのリスペクトについて
『宮守女子の謎に迫る』シリーズのその5です!これまでの記事はこちらにまとめてあります。
今回は副将の塞さんについてです。副将戦で一人だけマイナスだったり、胡桃ちゃんに名前とばされたりと苦労人キャラですよね〜。だがそれがいい。それでは今回もいってみましょ〜。
- 名前の由来
まず、名字の臼沢については軽く調べた限りでは由来はよくわかりませんでした。岩手県には臼沢というそのままズバリな地名があるので、恐らくはそこからかなとは思うんですが…。後、去年日本レコード大賞の新人賞を受賞した臼澤みさきさんという歌手がいるんですが、彼女の生まれた場所が日本で最も臼沢という名字が多い岩手県大槌町だったりします。名前の塞はこれから詳しく説明する塞の神からです。
- 塞の神について
それでは、塞の神がどのような神様なのかについて簡単に説明します。とはいえ、この神様はたくさんの他の神様と習合してしまった為に現在ではものっすごい複雑な信仰形態をもつものとなってしまったんですが、とりあえず元の意味としては峠などの村の境界において、外から悪いものが入ってくるのを防ぐための神様なんだそうです。その起源は記紀神話にまでさかのぼる事が出来るのだとか。
その後、中国の行路の神様である道祖神と結びつき、更にいろんな神様もいっしょくたにされて子孫繁栄だとか道の守り神とか色々な意味が付け加えられていったんですが、ここは今回の話とは全く関係ないので気にしなくていいです。
後はその形は石の柱だったり石像だったりする事が多いですね。木の人形だったり草履だったりする事もあるみたいですが。
という訳で、今回塞さんについて考察する上で重要な点をまとめると
の3点となります。古事記にもそう書かれている。いいね?
それでは、ここからは咲−Saki−本編において塞の神がどのように表れているかを見ていきます。
まずは、塞さんの能力について。実はこの「防塞」という能力は、そのまま85局のタイトルになっています。更に、咲−Saki−10巻の紹介文にも、塞さんの事を凶悪な邪気を封じ込める「防塞」と表現しています。このあたり、塞さんはシロ並みに元ネタがわかりやすいですね。この辺りが見事に描写されているのが
このコマ。はっちゃんのヒトダマみたいなのが侵入するのを石の柱で防ぐシーン。他にはこれなんかも
悪しきものを封じ込めようとしているのがよくわかりますね。ってか、これだけ見るとはっちゃん完全に敵役だな…。この辺りの描写にポイントの1.と3.が表現されています。
追記
このはっちゃんが縛り付けられている大きな岩についてですが、なんとこの岩が実在するものである事がわかりました。詳しくはかんむりとかげさんのこちらの記事とコメント欄でのradさんのご指摘を参照してください。ありがとうございます。
この岩が作品に使われた理由は、コメント欄にも書きましたがはっちゃんが鬼にまつわる能力を有している事も理由の1つですね。詳しくは別に記事を作成しましたのでこちらからどうぞ。
次は、ポイントの2.について。これが端的に表現されてるのが
このコマですね!チャイナドレス+紙垂のスカートという斬新極まりないファッションですが、これは塞の神(道祖神)が日本+中国の神様であるから。この辺りの立先生の描写スキルはすばらっ!の一言ですね。
後、確証はないですが、塞さんのお団子+ぱっつんという髪型も日本+中国を表現したものなのかもしれないですね。チャイナドレスでお団子というと日本のサブカルでは二つのお団子を左右につけた両把頭と呼ばれる髪型が一般的なイメージですが、臨海のハオもお団子は一つだし、立先生はこっちの方が好みなのかもしれないですね。
また、日常描写の中にも塞の神を思わせる描写は隠されています。
85局から86局にかけての宮守の回想シーンで、塞さんが橋の上を通る電車からトシさんの気を感じる場面ですね。これは彼女の「防塞」能力が外からやってきたトシさんに対して反応したと考えられないでしょうか?
これは咲−Saki−の能力者がしばしば持っている能力センサーにも似ていますが、ここでの塞さんのセリフが「悪い気のせいではない」(強さに関してではない)と言っている事と、その後トシさんと対局するまで彼女の強さに気付かなかった事から能力センサーとは別物のような気がします。すると、塞さんのモノクルは本来持っている彼女のこの能力を麻雀向けに変質させる道具と考えるべきなのかもしれないですね〜。
- なぜ塞の神が元ネタに使われたのか?
今回の塞さんと塞の神に関する話は以上で、ここからはより広い視点で塞の神について考えてみようと思います。つまり、立先生が塞の神を採用した理由についてです。なぜ、これが問題になるかというと『遠野物語』において塞の神が登場するお話が
九八 路の傍に山の神、田の神、塞の神の名を彫りたる石を立つるは常のことなり。また早池峯山・六角牛山の名を刻したる石は、遠野郷にもあれど、それよりも浜にことに多し。
柳田国男 遠野物語
これだけだからです。マヨヒガとか他のキャラクターに関わるお話は全て単独の題目がつけられているのに、何故塞さんに関しては『遠野物語』にその説明すら書かれていない塞の神を選んだのか。この理由について考えてみようと思います。
1.『遠野物語』の中には塞の神の性格をもつ神様が複数登場するため
まず、考えられる理由の1つ目です。塞の神という言葉は他には出てこないんですが、実は塞の神の性格を持つ神様は『遠野物語』の中に複数登場します。これらを含めて塞さんというキャラクターが生まれたんじゃないかという仮説ですね。その中には胡桃ちゃんの元ネタ候補の一つであるカクラサマやコンセサマという男根そのものの形をした神様なんかもあって、実は塞さんはむっつりだった!とか考えるのもそれはそれで楽しいんですが、これらの神様の中に塞さんを連想させるものが全くないのでちょっと理由づけとしては弱いような気がします。
2.塞の神は『遠野物語』以外の書籍から採用された元ネタであるため
それでは塞の神はどこから来たのか、それを説明するには『遠野物語』以外の書籍に注目する必要があります。その本とは『遠野物語』と同じく柳田国男が著した『石神問答』という本であり、実はこの本のメインテーマの1つが塞の神についての考察なのです。
が、もちろんこれだけではなぜ『遠野物語』の怪異が元ネタとなっている宮守という学校に塞の神が採用された理由としては不十分です。なぜ、『石神問答』の中に登場する塞の神が元ネタとして採用されたのか、それは『石神問答』が『遠野物語』のわずか1か月前に発売された、両書が一セットの本であったとされるほど繋がりが深い書籍だからなのです。*1つまり、立先生はこの繋がりを予め知っていて宮守の中に臼沢塞というキャラクターを登場させた…こう考えると筋が通るのではないでしょうか?
実はこの仮説を裏付ける、かもしれない興味深い事実がもう1つあります。同じく柳田国男の著書に『後狩詞記』という書籍があります。この本も『遠野物語』とほぼ同時期に書かれ、『石神問答』と併せたこの3冊を柳田国男の初期3部作と呼んだりします。内容的にも『遠野物語』との関係性がよく指摘されたりしますね。
この『後狩詞記』という本は宮崎県椎葉村の狩りの伝承などをまとめた本なんですが、実はこの村のすぐ隣にあるのが咲−Saki−の宮崎県代表の越野尾高校がある西米良村なんです。実際に柳田が椎葉村を訪れた際に西米良村の狩猟文書なんかも手に入れたらしいです。…が、この場合なぜ素直に椎葉村ではなく西米良村を代表校にしたのかは納得いかないですよね。
実はその理由については咲−Saki−の全国出場校の地名を紹介するブログ『何の変哲もない咲の地名紹介』様を見て気付いたんですが
これが理由なんじゃないかと。つまり、咲−Saki−の中には『遠野物語』を中心とした柳田国男の初期3部作へのリスペクトが隠されていた、こう考えられるんじゃないかな〜と思う訳です。かなり、ぶっとんだ仮説なので、まぁひょっとしたら程度に思ってるだけですが。
最後に、ここから推測される胡桃ちゃんの名字の謎について。前回の記事で胡桃ちゃんの「鹿倉」という名字がどこから来たのかははっきりとはわからず仕舞いでした。が、実は『後狩詞記』の中には
四 狩詞記(郡書類従巻四百十九)を見ると。狩くらと言ふは鹿狩に限りたることなりとある。
序/後狩詞記
という記述があります。実はこの狩くら(カクラ)はカクラサマと関連して捉えられるんじゃないかという説*2があるんですよね。胡桃ちゃんの名字はここからつけられたのかもしれないですね。
1/28:追記
狩くらについてとおりすがりさんよりコメントをいただいたので、それに関して追記します。とおりすがりさん、ありがとうございます。
かぐらやま【鹿倉山】
狩猟の目的で指定された山野。狩倉山とも書き、狩山・かりくらともいう。鹿倉山は狩倉の名称とともに鎌倉時代に始まる。この時代の狩倉は鹿狩りの場であったが、狩倉で獲物を射止めることは、同時に練武の手段でもあったところから、狩倉山はほとんど武士の独占場であった。このような慣習は江戸時代の領主にも受け継がれ、狩猟に適した各地の林野に鹿倉山の設定を見た。江戸幕府領ではこれを御鹿狩場と唱え、九州諸藩では御鹿倉(山)・御狩倉山、東北地方では御鹿込山といい、他の諸藩では御狩場(岡山)・鹿猪御留山(徳島)などと称した。これらの鹿倉山は鹿や猪の繁殖をはかる禁猟区であった点はいずれも共通であるが、時代の降るにつれて武士の狩猟行為はすたれ、代わって野荒しを防止するための農民の猪鹿狩りが盛んになり、したがって鹿倉山本来の目的は失われたが、その大部分は巣鷹山とともに、御林同様の保護林となって残った。→狩倉(かりくら)
国史大辞典 より
狩くらを鹿倉山とも書くようで、この記述と上のカクラサマの関連で考えるとやはり胡桃ちゃんはカクラサマ+ザシキワラシと考えるのが一番しっくり来るかもしれないですね〜。
という訳で、今回もひじょーに長くなってしまいましたが以上になります。次は姉帯さんですね。彼女に関しては未だわからない事だらけなので、あまり大したことは紹介できないんですが…。