咲-Saki- 阿知賀編 episode of side-A 最終話[軌跡] 今振り返る阿知賀の少女たちの軌跡(奇跡)

なんかのインタビューで和が言っていた
1年半くらいずっとひとりでネットで打っていたって
和のひとりな時間はムダにならず今の和を形作っている
私は2年半ひとりで山を駆け回っていただけ
和とくらべて最初はヘコんだけど
今は違うんだ


最終話の冒頭のシズのセリフである「無駄な時間などない、どのような過去も今の自分を形作って、自分の力になっているのだから」というのは、咲-Saki-の中で何度も同じようなセリフで繰り返されています。
例えば部キャプコンビなんかはそうですね。優希と池田の回想の中で彼女たちは同じようなセリフを述べており、その言葉を思い出す事が優希や池田のくじけそうな心を前に進ませるきっかけとなっています。この事については以前に語った事なので、よろしければこちらの記事をご覧ください。

長野県大会の回想から見る部長とキャプテンの共通点

そして、これは阿知賀編においては主要キャラクターの多くに共通するテーマでもあります。そこで今回は阿知賀編において過去と向き合うキャラクター達の軌跡を振り返ってみようと思います。

  • 原村和

まずは、シズがヘコでんいる対象であり、本編と阿知賀編を繋ぐ橋渡しの役割をこなす和について。
確かに彼女はずっとひとりでネット麻雀をしていましたが、それは決して前向きな気持からだけではありませんでした。シズや憧と疎遠になってしまった寂しさをまぎらわせる為のものであって、その果てに彼女はこんな気持ちになるのなら最初から友達なんて作らなければよかった…とまで思い詰めています。この感情は僕も何度か転校を経験した身なのでよく理解できます。きっと、高遠原に来てからの和は今以上にクール、よりはっきりと言えば人付き合いに臆病な状態に違いなかったはずで、だからこそ会ったばかりの優希が

こんなセリフを言ってくれたのは、彼女にとって非常にうれしかったはずですよね。

穏乃…憧……
いずれ離れる時がくるとしても
友達は楽しくて嬉しいです
またいつか―


番外編[高遠原]のラストの和のこの表情は、楽しかった過去とそれにすがって臆病になっている現在の自分とにきちんと向き合って受け入れたからこそのものだと思います。そして、彼女にとっては恐らく寂しさを紛らわす為にひたすらネット麻雀を打ち続けた事が今の和であるデジタルの化身「のどっち」に繋がっていく訳で、彼女もまたシズと同じ能力の目覚め方をしていると言えるでしょう。

  • 松実玄

玄ちゃんに関しては既に多くの方がすばらな記事をあげているので、まずはそちらをご覧ください。

http://www2.ocn.ne.jp/~white/column-achiga4.htm
http://www2.ocn.ne.jp/~white/column-achiga6.htm
http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20130307/1362672518
http://d.hatena.ne.jp/tatsu2/20120702/p1

これらの記事に付け加える事はほとんどありません。玄ちゃんは常に待ち続ける人間であり、思い出を大事にする事によって彼女のドラゴンロードの能力は生まれました。
けれど、待つという事は受け身の行為です。彼女が常にドラを持ち続ける事、そしてずっと部室を掃除し続けていたのは美しい行為であると同時に、彼女が過去の思い出に浸って1歩も前に進む事が出来ていない事も意味します。
確かに思い出は大事です。しかし、現在を生きる為には過去は過去として受け入れる必要があります。つまり、玄ちゃんは1人でネット麻雀をしていた時の和と同じ、別れに対して臆病になってしまう問題を抱えていた訳です。それも和よりもずっと長い間。

別れることはよくあることで
私は慣れてるはずだったんだ
今まで自分から別れを決めたことはなかったけど
前に向かうために
一旦お別れ


だからこそ、彼女が準決勝の最後に見せたドラ切りは感動的です。それは過去を過去として受け入れて前に進む為の1手であり、彼女の成長の象徴でもあり、それ故に王者宮永照に対して1撃を与える事が出来たと言えます。アニメの最初の最終話のクライマックスにふさわしいシーンですよね。

  • 鷺森灼

彼女の場合は、直接的に自分の過去とではなく憧れの存在であった阿知賀のレジェンド赤土晴絵に対する感情との折り合いがテーマになります。
灼ちゃんにとって赤土さんは自らの憧れ、ヒーローのような存在です。そんな赤土さんが負けてしかもその後麻雀をやめてしまう。それは彼女にとって絶対に受け入れる事が出来ない出来事だったはずです。ヒーローとは何度倒れても決してあきらめる事無く前に進まなければならない存在だからです。そして、憧れとは空に輝く星のように遠くにあってこそ強まる感情。だからこそ、彼女は麻雀クラブで教える赤土さんを拒絶したのです。灼ちゃんだけが赤土さんの監督就任に反対したのも同じ理由ですよね。

しかし、赤土さんと共に全国を目指す事になり高校時代の彼女と同じ部長という役割をこなす事によって、灼ちゃんの気持ちには変化が生じます。
憧れの存在と同じ立場に立ち共に日々を過ごす事で、灼ちゃんは赤土さんの内面を知り、彼女の思いを理解するようになります。「憧憬」の存在であった赤土さんを遠くから眺めるのではなく、彼女と共に歩む事。それは過去の思い出にすがる事無く現在を生きる事でもあります。そして共に歩む事は赤土さんに助けられるだけじゃなくて、自分も赤土さんを支える存在となる事。

多くの人たちの期待―責任―託されたもの―
多くの人の想いをのせて今ここにいる
ハルちゃんも昔―こんな気持ちだったのかな―
あの頃は私がハルちゃんに想いをのせてた―
でも今私がのせていく―多くの人の想いとともに―
あの人の想いを―


そのような思いが灼ちゃんの準決勝の普段以上の力を発揮する原動力となったのだと思います。

  • 赤土晴絵

阿知賀のレジェンド、赤土晴絵。彼女の挫折は10年前のインターハイの準決勝で小鍛治健夜を相手に大量失点を喫してしまった事に端を発します。
*1
赤土さんの場合は1年でエースでキャプテン、しかも準決勝でのあの有能な参謀ぶりを考えるに戦略担当もしてたでしょうから、いわば当時の阿知賀女子麻雀部の全てを背負っていたといっても過言ではない訳で、だからこそ彼女にとってこの敗北は非常にトラウマとなった事は想像に難くありません。

しばらくは牌に触れる事すら出来なかった赤土さん、そんな彼女が望さんの勧めがあったとはいえ阿知賀で麻雀を教えるというのはかなりの勇気が必要だったはずですし、彼女が心に負った深い傷を癒して過去ときちんと向き合う為の一歩だったのでしょう。
子供たちに麻雀を教える事で麻雀の楽しさを思い出した赤土さんはもう1度麻雀を打つ事を決心します。

けれど考えてみると、赤土さんが立ち直った事はシズや和にとっては先程の悩みのきっかけでもある、というのは中々に皮肉な事ですよね。
しかし、麻雀を打つ楽しさを取り戻すだけでは彼女にとっては不十分でした。彼女の麻雀の実力は恐らく咲-Saki-という作品の中でもトップクラスです。そして、彼女が選んだのはそういった選手たちが集うトップクラスでの戦い。だからこそ、赤土さんに必要なのは麻雀に対する楽しさだけでなく、その厳しさも受け入れなければいけない訳でその象徴が小鍛治プロだった訳です。

そして、彼女はもう一度阿知賀に戻ってきます。シズや玄ちゃんたちを指導して作戦を考え、共に戦って共に悩んで…。その末に、阿知賀は見事準決勝を勝ち抜きます。
準決勝後の控え室で赤土さんが涙を流すシーンは非常に感動的ですが、このシーンには2つの側面があると思います。
1つは阿知賀が決勝に進出する事によって自らの壁を乗り越えてくれた喜び。そしてより重要な事はこの壁を自分一人の力ではなく、みんなの力で乗り越えた事です。
最初に述べたように、彼女は阿知賀女子麻雀部の全てをしょって立つ存在でした。彼女のミスはそのままチームの成績に直結したはずです。そして、実際に準決勝で赤土さんは大量失点を喫してチームは敗北して―彼女はその責任を全て抱え込んでしまいました。
もちろん赤土さんにそれだけの実力があった事は確かでしょうし、麻雀部を辞めた彼女を責める人は誰一人いなかったはずです。
それでもやはり、結果的に彼女が阿知賀の麻雀部の廃部の原因の一つとなった事は間違いないでしょうし(それは更に彼女を苦しめる事だったはずです)、なにより責任を全て抱え込むという事は仲間を信用していない事の裏返しでもあります。

このシーンでは、赤土さんは玄ちゃんと10年前の自分を重ねています。他の2人と共闘も、自分の何かを捨てる事も出来なかったのは彼女が全てを背負い込んでいたからに他なりません。

教え子が頑張っている姿を見守る事しか出来ないのは、とても忍耐が求められる事だと思います。自分にその競技の実力がある場合は尚更です。そんな時に指導する立場に求められるのは何よりも教え子を信じる心、それは彼女にとって最も欠けていたものだったはずです。

私の世代で越えられなかった壁―
私は…私はここで負けた側の人間だから
みんなが勝ったら素直に喜べないんじゃないか
ずっとそんなこと思ってたんだ
でも今


ありがとうみんな

―赤土さんがこれまで背負ってきた一人の身にはあまりに重い何かはきっとこの時に本当の意味で解放されたのだと思います。
そして教え子たちの存在を支えとして、彼女はトラウマの象徴である小鍛治プロの前で自分もプロを目指す事を表明します。自らの過去ときちんと向き合い、麻雀を打つ楽しさだけでなく厳しさを受け入れる事、重圧やプレッシャーといったものを1人で抱え込む事なく仲間みんなで助け合う事、10年にわたる苦悩の末に彼女が手に入れたものはそんな事なのだと思います。今の赤土さんなら過去よりもずっと強い打ち手になっている事でしょうね。

  • まとめ

このように咲-Saki-阿知賀編という物語は、過去に因縁を抱えた主要キャラクターたちが仲間と共に全国の舞台を戦う中で、その過去を受け入れる事で成長していくお話であるといえると思います。
単純な麻雀の実力では阿知賀女子は準決勝に進出したチームの中で最も地力が低いチームである事は間違いないでしょう。そんな彼女たちが決勝に進む事が出来たのは、これまで歩んできた彼女たちの軌跡を準決勝の舞台においてきちんと糧にする事が出来たからであり、だからこそ成し得る事が出来た彼女たちの奇跡でもあります。
このような軌跡(奇跡)を経て咲-Saki-阿知賀編という作品の中で大きく成長した彼女たちは間違いなく清澄の強敵として決勝に立ち塞がる事となるでしょう。私たちがその戦いを見届けるのはまだもう少し先の話になりそうですね。

*1:このすこやんの表情怖すぎですね…