咲-Saki-本編と阿知賀編の違いについての若干の考察

※今回のエントリーは自分でもまだ上手くまとまってない内に書き上げたのでちょっと読みづらいかもしれないのでご了承ください


咲-Saki-本編も阿知賀編も回想が多いアニメだといわれますが、二つの回想を比べてみると違いがあるような気がします。
上手く言えないんですが、咲-Saki-の回想はそのほとんどが部内の絆を表現する為のものでそれがいつ起こったかはあまり重要ではない(つまり横の絆)ですが、一方阿知賀編の回想シーンというのはより時間の流れの積み重ね(つまり縦の絆)が重視されている気がするんですよね
例えばそれは咲-Saki-と阿知賀の始まりのシーンの違いにも表れていて、どちらも主人公と和が出会うシーンで物語が始まるんですがそれは咲-Saki-においては現在、阿知賀においては過去の小学生時代です
主人公の違いなんかもそうですね。宮永咲は天才で、彼女にある能力は血筋によるものが大きい気がしますし、衣戦における咲の覚醒も成長ではなく、かつての自分を思い出したに過ぎません(もちろん部長の特訓の成果もありますが)
一方の穏乃は凡人で、彼女は和への思いを胸にレジェンドのコーチの下、練習と大会を通じて成長していく姿が描かれています。(「成長」は時間の流れがあってこそ生まれるものです)


他にはこれまでに登場してきた学校を比べてみても、本編と阿知賀編における時間軸の重要度の違いというのは明らかです

例えば、咲-Saki-においては

  • これまで団体戦に出場すらしていなかった高校(清澄、鶴賀、宮守)
  • 去年急に全国で活躍した高校、だが麻雀部がある一人の為に存在していてあまり他校に興味がない(龍門渕、永水)
  • 名門なのだが、全国でどこと戦ってきたかは何故か本編で語られる事はない(風越、姫松
  • 留学生が多く、これまでインターハイと接点がないキャラが多い(臨海)

と、ここ数年の高校麻雀の世界について触れる必要のないキャラを集めたダークホース的な学校がBブロックには集まっています
一方の阿知賀編は主役の阿知賀に関しては清澄などと同じ立場ですが、他の対戦相手としてこれまで登場した学校は晩成、劔谷、新道寺、千里山、白糸台と咲-Saki-の世界においていわゆる伝統ある強豪校と呼ばれる、毎年のようにインターハイに出場しているであろう学校ばかりが集まっています

咲-Saki-本編と阿知賀編の違いについて確か制作サイドは、本編の能力バトルとは異なる努力や根性を重視したスポ根ものを描きたかった、と発言していたように思います。ですが、それに加えて阿知賀編では本編では語られていない宮永照、及び白糸台による圧倒的な天下だったここ数年の高校麻雀の世界を、主に千里山を通じて垣間見せようとする意図もあったのかもしれないと個人的には思ってます
そう考えると準決勝において玄ちゃんがほぼ最後まで完全に置物状態だったのは、彼女たち阿知賀が全国の因縁を持っていなかったから・・・というのは、流石に穿ちすぎかもですね

とにかく上記の違いを踏まえると、例えば準決勝で怜が自らの体力の限界を超えて照の点数を削り結果的にそれが玄ちゃんのサポートになった事や、新道寺の監督がすばら先輩を捨て駒的に先鋒に配置した意図とその際の部長の哩さんの思いなんかを考える際には、彼女たちがこの2年間インターハイでどのような思いを味わってきたか、それは名門伝統校の看板を背負う自らの誇りにどのような影響を与えたか、なんかを考えてみると阿知賀編がまた違って見えてくるような気がします。このような視点は咲-Saki-本編では獲得するのが難しいものですから

参考
【画像】咲-Saki-の園城寺怜って : 兄弟分ナロウゼ@芸能・野球まとめ
準決勝の怜の行動は正しかったのか論争
http://d.hatena.ne.jp/tatsu2/20120702/p1
素晴らしい最終回のまとめ。「出会いと別れ」は、正しく時間の流れそのものですね