山人という言葉で繋がる宮守と永水

『幽界物語』あるいは『幸安仙界物語』とは江戸末期に書かれた神界へ赴いたとされる嶋田幸安の話を参澤明が記録したものです。このお話の初めに彼が仕えた仙人についての記述があります。

…翌十一日の夜眠り覚る折から暁頃叉昨日逢たる如き神人忽然と来たり供に霊空に乗じ九州の地へ行き赤山に登り、神仙の館へ参り、清浄利仙君と申す仙君に拝啓す、此利仙君と申すはもと仁徳天皇の四十一年癸丑産にして、其後人間に出で候、御名は藤原平次と申してよき官人にてありけるが、…
幽冥界研究資料. 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

実はこの本は藤原利仙さんの元ネタが記された書物なんですが、太字の部分を見ればわかるように九州の赤山に住むかつて藤原平次という名前だった清浄利仙君という仙人がモデルだから九州赤山高校の藤原利仙という名前なんですね。ものすごいそのまんま。

ちなみにどうでもいい事なんですが、九州の赤山ってウィキペディアとかだと霧島山と書かれていて永水と九州赤山って同じ場所にあるの!?と思ってたんですが、今回調べてる時に参考にした本にはいずれも阿蘇山って書かれてました。阿蘇と霧島、果たしてどちらが正しいのでしょうか…。ただ阿蘇山だと九州赤山高校は熊本県にある事になってしまうので、少なくとも立先生は霧島山に九州赤山高校があると想定しているのだと思います。

この『幽界物語』は最初の方では参澤明が嶋田幸安から聞いた話を一問一答形式でまとめてるのですが、途中から清浄利仙君や平田篤胤の養子である平田鐵胤もその問答に参加するようになるようです。もちろん参澤明も平田国学の門人の一人でした。そして前回の記事で紹介したように『霧島山幽境真語』も平田篤胤が八田知紀に頼んで善五郎が仙界に訪れた話を聞き取りしてまとめたものです。つまり、永水と九州赤山の仙女の元ネタにはどっちも平田篤胤が深く関わってる訳ですね。
さて、それでは何故平田篤胤や彼の門下生たちは何故日本各地の仙境の体験談を探し求めたのでしょうか?

まず、平田篤胤は彼が師匠として尊敬していた本居宣長と同じく儒教や仏教の影響を受ける前の日本古来の信仰を探ろうとする古神道(復古神道)を提唱します。
ただし篤胤が本居宣長と異なったのは、宣長が不可知とした死後の世界について積極的に探究した事です。『霊能真柱』などの中で平田篤胤は幽冥界と呼ばれる古神道独自のあの世の概念を生み出します。その後、篤胤は天狗に連れ去られて彼の下で修業を行ったと主張する寅吉という少年と出会います。寅吉が語る異界は篤胤の考える幽冥界と驚くほど一致していてその結果、篤胤が考える幽冥界は単なるあの世ではなく私たちの住む世界と重なり合った天狗や山の神などが住む不思議でより大きなスケールの世界へと変化していきます。
寅吉との出会いの後、篤胤は玄学と呼ばれる中国の道教老荘思想に深く傾倒していきます。そして、最終的には平田神道の中核に玄学が位置づけられるようになり、当然の事ながら幽冥界も日本独自の異界ながら本来は中国発祥のはずの仙人なども住む世界であると考えられるようになる訳です。つまり、『霧島山幽境真語』も『幽界物語』も山奥で出会った相手が仙人であるのは、平田篤胤のこのような幽冥界のイメージが基になっているからなんですね。*1
…自分でも未だによく理解出来てないのですごいわかりづらいし色々と間違ってそうな説明だと思うんですけど、とりあえず国学者が残した書物に仙人が描かれてるのはこういった理由なんだなーって事をなんとなく解かっていただけたらそれで充分です。いずれにしろここで神社の巫女と山の奥に住む仙女という一見全く関係がないように見える2つの要素が繋がってくる訳です。


さて、幽冥界と一言でいいましたが、そこには神集岳神界や仏仙界などといったとてもたくさんの異界が存在するらしいのです。ただし、『霧島山幽境真語』や『幽界物語』など普通の人が仙人の元を訪れたお話はいずれも幽冥界の中でも山人界(天狗界)と呼ばれる場所であるといわれています。山に住む生き物たちの世界だから山人界、そのまんまですね。そもそも仙人は人偏に山と書きますしね。とすると、仙女は山女と表現しても差し支えない訳で…あれ、山女ってどこかで聞いたような…?

そう、姉帯さんの元ネタですね!*2と、なんだかすごい強引に繋げた感じですが、ここからは平田篤胤が産み出した山人界の仙女と柳田国男が産み出した山人こと山女が深くつながっているのかを見ていこうと思います。

『妖怪談義』に収録されているお話の中に「天狗の話」という柳田国男の初期の論文があるのですが、この中で柳田はこのように語っています。

ただここに少しばかり、私の独り心づいていることがある。昔から殊に近代に於て山中の住民が堅く天狗現象なりと信じているものの中で、どうもそうでなかろうと思うことがあります。山民は幽界を畏怖するの余に、すべての突然現象、異常現象を皆天狗様に帰してしまう。しかしその一部分は魔王のあずかり知らぬものがある。この濡衣を乾せば魔道の威光はかえってたしかに一段を添えるであろうからちょっとその話をしてみたい。それは外でもないが日本の諸州の山中には明治の今日といえども、まだわれわれ日本人と全然縁のない一種の人類が住んでいることである。

ここで柳田がいう天狗には先程述べた山人界(天狗界)も当然含まれています。柳田自身は篤胤などが収集した天狗界の体験談について

又幽冥に往来したという人の物語、これが史料としての価値はあまり高くない。神道寅吉すなわち高山平馬の話、又は紀州のある学者の筆記した少年の談話*3の類は五つも七つもあるけれども、その間に何ら共通の点がなく、一つの世界の話とはいかにも受け取られぬ。

と否定的な立場をとっている訳ですが、ここで柳田は篤胤が提示した幽冥界を拒否する代わりにこれらの話の背後に山奥に住む先住民である山人(山女)という別の存在を見出している訳ですね。このように姉帯さんの元ネタである山女の誕生した経緯を詳しく見ていくと、実は永水の六女仙と宮守の山女は同じような伝承を別の角度から見たものに過ぎない事がわかります。つまり、両者はある意味ではほぼ同じ存在なんですよね。*4

このように考えていくと、立先生がブログで「ちょっと特別な場所」と表現した霧島神境に何故宮守女子のメンバーが呼ばれたのかという疑問もすっきりと解けるのではないでしょうか。もちろん、咲-Saki-のお話と幽冥界や山人を同列に語る事は出来ませんが、少なくとも他の学校とは違って何故永水と宮守だけが大会が終わった直後に一緒に海水浴に行くほどに仲良くなったのかという理由がここに隠されていたと推測するのもあながち的外れではないと思ったり…。って、やっぱりちょっと強引ですかね?w

柳田国男と平田篤胤と咲-Saki-
昔、平田篤胤柳田国男の繋がりについて書いた記事。今見るとかなり根拠がいい加減…。
盛岡にある三ツ石神社から臼沢塞と薄墨初美について読み解いてみる
これも宮守と永水の繋がりを指摘した記事。宮守と永水はセットでキャラクター造形が考えられているってのが持論です。
姉帯豊音と山女について
永水の六女仙の元ネタである『霧島山幽境真語』のご紹介

  • 参考文献

『神仙道の本』学研
古神道の本』学研
『平田神道の研究』古神道仙法教本庁 著:小林健
『妖怪談義』講談社学術文庫 著:柳田国男
平田篤胤の神界フィールドワーク』作品社 著:鎌田東二

*1:ここで誰もが不思議に思う事は、篤胤は仏教や儒教を激しく攻撃していたのに何故中国の思想である玄学に深く傾倒しその思想を積極的に取り入れたのかという事ですよね。ここが面白いところなんですけど、篤胤は仏教や儒教を激しく攻撃する一方で自分の考えを正当化するのに道教に限らず、外国の神話や文献を何の躊躇いもなく利用しました。「本である我が古伝に欠落している叡智を、末である外国古伝の精髄を採取する事で補う」というのが篤胤の方法論だったらしいのですが、彼には日本が世界の中心であるというゆるぎない確信があったからこそ道教キリスト教などの文献を引用してもそれが結果的に日本古来の信仰を解き明かすものであると考えていたのですね。

*2:姉帯さんと山女の繋がりについては以前書いたこちらの記事を参照してください。

*3:『幽界物語』の事

*4:柳田は篤胤の言説には一貫して否定的な立場を採っている一方で、山人や祖霊の考え方には篤胤の幽冥界の影響が随所に見てとれます。これは、柳田がかつて歌人であった頃に桂園派という和歌の流派に属していた影響が大きいようです。ちなみに、『霧島山幽境真語』を著した八田知紀もまた桂園派の著名な歌人でした。実はこんな所にも永水と宮守の繋がりがあったり…