隠れ念仏から永水女子の設定の根源を探る

16世紀中ごろから西南戦争終結する明治10年ごろまで鹿児島県を中心とした旧薩摩藩旧人吉藩では浄土真宗一向宗)の信仰が禁じられていました。何故この二つの藩だけが信仰を禁じられたのかについては諸説あるのですが、その弾圧は過酷を極めたので、それを避ける為に彼らは講と呼ばれる秘密組織を作って陰ながらに一向宗の信仰を続けました。そんな人たちや集団の事を「隠れ念仏」と呼びます。

隠れ念仏の人たちは藩の監視の目からは隠れる一方でこっそりと浄土真宗の本山である京都の本願寺との繋がりは保ち続けていました。弾圧を受けながらもあくまで教義としては正統であり続けようとしたのですね。
ちなみによく似た言葉として「隠し念仏」と呼ばれるものがあるのですが、こちらは一般的には浄土真宗の中でも異端扱いされる秘密主義的な信仰の事を指し、岩手県を中心とした東北地方のものが特に有名です。隠れ念仏隠し念仏は論文や本の中でよく比較されます。隠れ念仏が鹿児島で隠し念仏が岩手…咲-Saki-ファンとしてはこの二つの県は別の意味でも気になる所ですよね。

そんな薩摩藩一向宗への弾圧ですが19世紀の天保年間に入ってから特にひどくなりました。その理由としてはちょうどこの時期に薩摩藩の経済的困窮が極まった事により、一向宗の信徒が大量のお金をお布施として本願寺に送っている事がこれまで以上に問題視されるようになった事が大きな要因らしいのですが、この時期から明治初めの廃仏毀釈という弾圧の嵐の中で*1数多くの人々が信仰の改宗を迫られ、拷問を受け、命を落としてゆきました。

このような弾圧が特に過酷だった時期に、カヤカベと呼ばれる隠れ念仏の一派であると考えられながらも他とは全く異質の信仰を持った新たな宗教集団が誕生します。…という事で前置きが長くなりましたが、今回はこのカヤカベが永水女子の設定のモデルとなっているのではないかという仮説について書いていこうと思います。


カヤカベを信仰する人たちは霧島市の旧横川町と旧牧園町の一帯に住んでいます。ちなみに元大関の霧島関(現在の陸奥親方)がこの辺りの出身だそうですね。先程も書いたように一般的な隠れ念仏の一派は弾圧を避けながらも常に本願寺との繋がりを持ち続け、教義としては常に正統であろうとしました。しかし、カヤカベの人々は本願寺との繋がりを一切絶っただけでなく、自分たちの事を「牧園横川連盟霧島講」と名乗り*2、他の人に自分たちの宗教の事を聞かれたら「私たちは霧島神宮の氏子である」などと答えるのだそうです。

もちろん、浄土真宗の信徒である事が明らかになれば弾圧をうける訳ですから、他の隠れ念仏の人たちも表面的には自らの信仰が浄土真宗以外の別の宗派であるかのように偽装する訳ですが、カヤカベの面白い所はそれが単なる偽装に留まらずに彼等の教義の中に深く根付いていて本来の浄土真宗の信仰とは全く異なったものへと変質してしまっている、という点にあります。
彼らは極めて秘密主義的な集団であり、ほとんどの隠れ念仏の人々は弾圧が収まった明治以降は隠れる事をやめて一般的な浄土真宗の信徒となる訳ですが、カヤカベの人々はその後も自らの信仰について外部の人間にはほとんど公にはしませんでした。カヤカベを信じる人々が世間に注目されるようになったのは第二次世界大戦後、給食の時にどうしても牛乳を飲もうとしない*3子供がいた為に不思議に思った担任が親御さんに連絡をとった事がきっかけだそうです。*4


このように非常に独特の信仰を持つカヤカベですが、ここからは永水女子の設定との共通点を挙げながら、カヤカベについてより細かく調べてみましょう。

まず、つい先程も書いたようにカヤカベの人たちは自らの事を「霧島神宮の氏子」であると名乗ります。そして永水女子のメンバーが登場する背景にはこれまで何度も霧島神宮が使われており、彼女たちはそこに住む(?)巫女であるようです。どちらも表向きは。
しかし、実態はカヤカベの人々は単なる氏子などではない極めて秘密主義的な信仰集団ですし、永水女子のメンバーも単なる巫女でない事は作品内の様々な描写から明らかです。それではそれらの描写の具体例を見ていく事にしましょう。

初美「実は本家の方からお呼びがかかったので霧島神境に行くことになったんですよー」
霞 「あぁあの噂の姫様がいらっしゃるという…神社みたいな所…?」
初美「神宮もいいですが神境はあそことはまた違ってですね、山の中にある隠れ里みたいな所なんですよー」*5

このセリフから彼女たちが住んでいる神境という場所はほとんどの人は知らない隠された場所である事がわかります。という事はどうやらはっちゃんがいう本家とはカヤカベ同様、秘密結社的な存在でないかという事が推測されます。神宮は霧島神宮の事でしょうね。

また、小蒔ちゃんは「六女仙を従える霧島神境の姫」*6であり、彼女は9人の女神を宿し使う*7シャーマンである事が明らかになっています。
更に霧島山は古くから修験道の盛んな場所としてよく知られており、明治時代の神仏分離令が発令されるまで霧島神宮は西御在所霧島六社権現と呼ばれる霧島山信仰や修験道の中心的存在でした。1期のアニメの最終話で姫様が麻雀卓に突き刺した天逆鉾なども元々は修験者の信仰によるものではないかと考えられています。

他にも悪石島出身のはっちゃんや喜界島出身のはるるのように、現在判明している永水女子の小蒔ちゃん以外のメンバーの出身地は鹿児島本土ではなく南西諸島です。そして何故かはっちゃんがボゼをかぶっていたり、神境の鳥居に悪石島などのトカラの一部の島にしか存在しない鋸歯紋という模様がつけられていたりと、どうやら神境の人々は意識的に南西諸島の文化を取り入れている節があります。

つまり、永水女子のキャラクターの背景には神道修験道、シャーマン、仙女、南西諸島の文化といった実にたくさんの要素が含まれている訳ですね。それでは次にカヤカベの教義と歴史について詳しく見ていく事にしましょう。


カヤカベの始祖は宮原真宅と呼ばれる江戸時代初期の人物です。彼は元々は山伏であり神道にも通じていたのですが、京都の本願寺で修行して浄土真宗に帰依し「宗教坊」という名前を与えられます。薩摩に戻った後は地下で布教活動を続けるのですが、最終的に役人達に捕まって処刑されてしまいまいました。その後、彼の弟子のひとりが教祖となって後を継ぎ、その後も薩摩藩の弾圧から身を隠しつつ信仰を続けていきます。この時点ではカヤカベという名前もまだなく、彼らはあくまで隠れ念仏の一派に過ぎませんでしたが、この時既に修験道の要素が教義の中に入り込んでいたのですね。

月日は流れて江戸時代末期に教祖となったのが吉永親幸(市蔵)です。冒頭にも書きましたが、彼が教祖となった江戸時代末期は薩摩藩の弾圧が特に過酷な時代で何万人という人々が捕えられ弾圧を受けました。このような時代背景の中で親幸はこれまで続けてきた本願寺との繋がりを絶ち、その信仰の形態を変化させていきます。彼の手によって現在のカヤカベという宗教集団が誕生する事になるのですが、それではその信仰がどういったものなのか幾つかの書籍から引用してみたいと思います。

市蔵は、自らを善知識と呼び、一向宗の教えに霧島山岳信仰をとり入れ、仏教と神道が混在した独特のかくれ念仏集団「カヤカベ」をつくり上げた。*8

親幸は、阿弥陀如来から伊勢神―霧島神―聖大明神*9の垂直回路によりお知らせを受けている。…(中略)…親幸は霧島神に導かれて極楽の世界に行き、その様子を見せられたという。信徒たちには、親幸が霧島権現に可愛がられて「カヤカベ教」を授かったのだと言い伝えられている。*10

要するに本願寺とは縁が切れちゃって自分たちはこの土地に縛り付けられてどこにも逃げる事は出来ないけど、霧島山はお伊勢様にも浄土にも繋がってる有難い場所だから大丈夫だよ、って事ですね。

更に親幸は優れたシャーマンでもありました。彼は自らと「杓取」と呼ばれる六人の巫女を中心としてカヤカベという教団を発展させ、運営していきます。*11また、

高取正男カヤカベ教」の「シャクトリ」による「新口寄せ」は、南西諸島のユタによる「マブリワアシ」と同種、同系統のものとみている。…(中略)…このように、霧島山麓には、南西諸島から薩南諸島につながるシャーマニズム文化が底に横たわっていることが分かってくる。*12

このようにカヤカベのシャーマニズムは南西諸島のものと非常につながりが深い事も明らかになっています。

以上の事から永水女子のキャラクターの背景にある神道修験道、シャーマン、南西諸島の文化といったものがカヤカベの教義にも含まれている事がおわかりいただけたかと思います。更に、姫様とそれに従う六女仙という構図が、親幸と杓取と呼ばれる六人の巫女という構図とちょうど対応している事も明らかですよね。
加えて言うと親幸より後はカヤカベのトップは世襲制となります、つまり親幸の血筋が重要視されている訳です。また霞さんのお祖母さんの「分家の中でもあなたが一番姫様に血が近い」*13というセリフからも推測されるように永水の巫女もまた血筋というものが重要視されている事が窺えます。これもまた共通点の1つですね。

最後に六女仙について。霧島山にいる六人の仙女というお話は江戸末期の『霧島山幽境真語』という書物に書かれています。この『霧島山幽境真語』について民俗学者である谷川健一は『魔の系譜』という本の中で以下のように触れています。

さて、さきに篤胤の霧島山幽境真語』の中の話がカヤカベ宗と関係があるのではないか、と私は述べたが、それは次のような理由からである。市来郷の善五郎が霧島へいくには、西南麓の牧園や中津川の道をとおらねばならぬが、その一帯は、カヤカベ宗といわれる秘密宗教が息づく部落なのである。善五郎はふとしたきっかけでカヤカベの信者のオヤの家とつながりをもち、歓待を受けたのではなかろうか。

このように六女仙のお話がカヤカベから生まれたのではないかという仮説があるならば、カヤカベをモデルとした永水女子のメンバーが巫女にも拘らず六女仙を名乗っている事に何の疑問点もなくなりますよね。*14


という事で非常に長くなってしまいましたが、結論としてはカヤカベの大元である浄土真宗要素こそ見当たらないものの、永水女子の設定にカヤカベの存在が深く関わっている可能性はかなり高いと言って間違いないのではないかと思います。宮守女子に比べて永水女子の設定って色々混ざっていてわかりづらい印象だったんですが、カヤカベという霧島の地に存在する非常にユニークな宗教を通じて見るときちんと筋が通っているんですね。

参考書籍
隠された日本 九州・東北 隠れ念仏と隠し念仏 (ちくま文庫)
隠れ念仏と救い―ノノサンの不思議・霧島山麓の民俗と修験 (みやざき文庫 58)
無縁と土着―隠れ念仏考
魔の系譜 (講談社学術文庫)
薩摩のかくれ念仏―その光りと影

*1:鹿児島県は廃仏毀釈が日本全国の中でも特に激しかった地域で一向宗はもちろん全ての宗派の仏教寺院が激しい被害を受け、一時的に鹿児島県に仏教寺院が一つもなくなるという事態にまでなりました。ただ、その後に浄土真宗の人々の積極的な布教によって現在では江戸時代とは打って変わって鹿児島県の人々はほとんど浄土真宗の信者となったそうです。歴史の皮肉を感じますね。

*2:カヤカベは外部の人々の俗称です。なぜそのような名前がついたのかについては、薩摩藩の弾圧を避ける為に本尊を萱壁の中に隠していた、ただ萱壁に向かって礼拝していたなど幾つかの説がありますがはっきりした事はわかっていません。

*3:本によっては牛乳ではなく鶏肉を食べようとしなかったと書かれている

*4:カヤカベの人々は多くのタブーを持っていて牛乳や肉、魚などといった食べ物は日によっては食べる事を許されず、特に鶏肉を食べる事は厳禁との事。

*5:咲-Saki-全国編BD1巻初回限定盤特典スペシャルコミックp.18

*6:咲-Saki-9巻第74局[神鬼]p.50

*7:咲-Saki-10巻第95局[形代]p.187

*8:『薩摩のかくれ念仏―その光りと影』p.47 かくれ念仏研究会編

*9:牧園の地に祭祀されている土俗の神様の事

*10:隠れ念仏と救い―ノノサンの不思議・霧島山麓の民俗と修験』p.35 森田清美

*11:『無縁と土着―隠れ念仏考』p.245 米村竜治

*12:隠れ念仏と救い―ノノサンの不思議・霧島山麓の民俗と修験』p.75,76 森田清美

*13:咲-Saki-10巻第95局[形代]p.187

*14:この情報については、以前にブログのコメント欄にてアルカ茄子のジャファーさんより情報提供を頂きました。というより、カヤカベについて調べてみようと思ったきっかけがこのコメントだったんですよね。この場を借りてお礼申し上げます。