ヒーローじゃなくたって世界は救える

恋が女をダメにする―Something Orange―
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20090701/p1

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女の子だって権力がほしい?
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20090706/p2
恋よりも野心を、愛よりも大義を。
http://d.hatena.ne.jp/kaien/20090708/p1



ヒロイックな願望を持ち、それを成し遂げる能力も意志もある女性が、往々にして恋に落ちた後はその恋に身を委ねて個人の幸せに満足してしまうのか、もっとそういった女性が描かれてもいいのではないか、というお話。
すっごーく今更な気もするんですが、かなり反響が多くてメールもたくさん届いているみたいなのでまっ、問題ないよね。
この記事についてはずっと考えているんですが、どうにも何度書いても上手く考えがまとまらないので、間違いもあるかもしれませんがとりあえずいくつか思ったことをまとめてみようと思います。


まず全く誰も言及されていないので、ひょっとしたら非常に的外れな事を言っているのかもしれない、とは思うんですが例えばFateのセイバーやベル薔薇のオスカルといった男装の女性達がほとんど話題に上らないのは何故なんでしょうか?


もし、上の例が当てはまらない場合、海燕さんのいう女性は性別としての女性というより、ジェンダーとしての女性が念頭にあるのではないか、と思います。
上手く説明できないのですが、それならばなにも戦いとか男性が支配的な場で物事を考えること自体に問題があるのではないでしょうか?


例えば、上橋菜穂子の『虚空の旅人』ではサンガル王国が舞台になりますが、ここの支配制度はとても独特です。

この国は、数百もの島から成る島国で、かつてはいくつもの王国が乱立していた。けれど、その内、サンガル王家の力が強くなり、彼らが全ての島国を服属させて一つの王国をつくる。で、かつての小国の王達は「島守り」とよばれ、サンガル王家の臣下になっているんですが、そこは島国。あまり王家への忠誠心は高くない。そこで、島守りたちと王家を結ぶ絆として、サンガル王家の女たちは島守りの下へ嫁いでいく―と、ここまでは非常によくある話です。

ただ、彼女達が違うのはその妻同士のネットワークがものすごい権力を持っていること。
王国の地方領主である島守りを決める権限は妻の方が持っていて、妻が夫を島守りとしてふさわしくないと思えば、〈女たちの集い〉という女性だけの会議で夫を離縁して、別の男を島守りとして選び出してその人と再婚する―なんてことも出来てしまいます。

彼女達は恋に溺れることはありませんし、男性では決して出来ないであろう、女性ならではのやり方で権力を支配しています。

その人にしか出来ない―というのは、何も個人の能力とかだけでなく、性別だってその一つだと思います。
僕の勝手な解釈かもしれないのですが、海燕さんのいう「格」とか「ヒーロー」といった言葉には非常に男根主義的な見方な気がします。     
でも、何もわざわざ同じ土俵に乗らなくてもただ英雄になろうとするなら女性であることを活かしたやり方だってあるはずだし、それって政治とか武力での争いとかそういったものの外部に存在するものではないかと思います。


・・・すいません、やっぱり全然まとまっていませんね(苦笑)


要するに、海燕さんが単純に女性がヒーローになる物語を求めているのであればやはりセイバーやオスカルを外してほしくないし(男として生きたとしてもその性別は間違いなく女なのですから)、女性が「女性でありながら」世界を救おうとする物語を求めているのなら、少し女性の長所を無視しすぎなのではないでしょうか。


「ヒーロー」ではなく、「ヒロイン」によって世界が救われたっていいと思うんですよね。


追記:この話、海燕さんが最初にこの話をした直後から考えてたのでその時点だとほとんど触れられていなかった男装の女性は幾人か例に出ているようですね、失礼しました。けど、この手の話ならいくらでもあると思うんだけどな〜。他にも『ムーラン』とか、ジャンヌ・ダルクとか、最近だと『テンペスト』の真鶴とか。

ただ、この手の話ってそもそも圧倒的に男性優位な社会が前提にある訳だから、男性が無自覚にこういった女性達を褒め讃えるのはよくないのかもしれないですね。


・・・というか、この話題の例がファンタジーと少女漫画に限定されすぎなだけなのかもしれない気がしてきた。

虚空の旅人 (新潮文庫)

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